西郷どんついに京へ!
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最終更新日:2018/11/18
歴史
物語はいよいよ幕末風吹き荒れる京での舞台である。2度の島流し(流刑)充電期間を経て益々人間的に大きくなった吉之助はどんなふうになるのであろうか?またキャストの鈴木亮平はどんな演技をみせるのか楽しみなところである。特に吉之助が島にいる間(1862~64年)歴史的に大きな事件が目白押しであった。
先ず文久の改革(薩摩主導による慶喜将軍後見職、松平春嶽を大老とする案)を幕府に勅使とともに迫った、その帰途に起きた生麦事件(現在横浜市鶴見区生麦)当時この東海道沿いはとても景色が良く、この景色を楽しみながら川崎大師を観光するというのが外国人に人気のコースであった。嘘か本当か近くのお茶屋に寄りビール(おそらく外国人が持参)を飲みながら沖に浮かぶ舟を眺めながら日本の景色を楽しんでいたようである。
ことの発端は、薩摩藩島津久光一行400名の大名行列に前方から4人の騎馬に乗った英国商人と鉢合わせとなる。この前にアメリカ人とも遭遇しているが、かれらは、馬を降りて敬意を示した。既に外国人には日本の大名行列のことは知らされており最低限マナーがあったようである。
日本国内の武士の取り決めには列を乱すような場合「無礼打ち」が許されていた。ところが英国商人4人は止まることなく行列の中を馬で割って入ってきて列が乱れた。相当な無礼である。英国人商人チャールズリチャードソンは激怒した薩摩藩士に切り捨てられてしまう。(私たちが外国で、どうも高貴なお方の行列に遭遇したときに自転車で割って入ることができるでしょうか?)
以下私見でありますが、このころの英国は世界を席巻し怖い物無しという意識があり、治外法権!?、あるいは日本のことをこの商人たちは小馬鹿にしていたのではないかと思ってしまう。(現在では許される事ではないが、例えは適切ではないが普通の国では領空侵犯の場合旅客機さえも攻撃してしまう事もある。ちなみに、日本国は普通の国ではなく幕末の志士たちが命がけで頑張ってきたが残念ながら独立国とは言えない。)
これ以降
1862年 高杉晋作らの英国公使館焼き討ち事件
1863年 新撰組の前進、壬生浪士が結成される。
1863年 長州藩が下関戦争(英、仏、蘭、米)
1863年 薩摩藩が薩英戦争(生麦事件の報復、生麦事件後幕府は賠償金10万ポンド=150億円支払っている。)
1863年 八月十八日の政変で長州藩を京都から追放
1864年 西郷吉之助再び赦されて、京都における薩摩藩責任者となる。
1864年 池田屋事件(長州藩の攘夷派が新撰組に討たれる)
1864年 禁門の変で薩摩&会津藩が再び長州藩を京都から追放
このように時代はまさに幕末真っ只中、やっと吉之助が表舞台に出てきた。しかしながら2度も長州藩は薩摩に討たれ相当な恨みがあったはず。にも拘らず2年後には薩長同盟が結ばれるのである。両藩とも外国との戦争でこっぴどくやられたのが同盟の要因かも知れない。もちろん西郷隆盛、木戸孝允、本人同士また、坂本龍馬、勝海舟等の人間力に負うところも大きいに違いない。
番組ではついに坂本龍馬(小栗旬)勝海舟(遠藤憲一)岩倉具視(笑福亭鶴瓶)が登場しキャストの演技が楽しみである。番組ストーリーは、吉之助は一蔵(大久保利通)の求めに応じ京に向かう。京で朝廷、幕府、雄藩、での参与会議が開かれるが慶喜がころころと意見を変えまた久光の事を田舎侍と愚弄し決裂する。その中を取り持つ為に吉之助に託されるのであるが、久光は慶喜よりさらに吉之助のことが嫌いである。はたしていかような展開になるのであろうか・・・
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